10月12日 木曜日 晴れ

TS-1 5クール目 第3日目  涙以外特になし

乳がん2022㉙ 母の死④

 空港へ着くと、甥が子供を連れて迎えに来てくれていました。子供たちは小さいのでまだ祖母の死というものはわからない様で、はしゃいでいます。暗い気持ちが少し軽くなりました。甥の車で葬祭場に向かいました。その葬祭場に母の遺体が置かれています。

 母の遺体を見たとき、あまりに小さいのにびっくりしました。生前は私より縦も横も大きかったのに。私の世代では子供は親より大きくなるのが多かったのですが、私は親を超えられませんでした。小学校の時、小さい順から並ぶとき、最前列か、良くて2番目でした。その母は、顔も小さくなって、祖母にそっくりでした。生前は母と祖母はあまり似ていないなと、思い、見たことのない祖父に似ているんだろうなと思っていました。しかし、息をしなくなった母は、祖母にそっくりになっていました。 

 それから、通夜(呼び方が違っていたのですが忘れました。)通夜と言っても、昼間からです。約20年前に父親が亡くなった時は、病院から家に遺体が移され、近所の人が平服で最後のお別れに来てくれました。今回は、皆さん、ちゃんと喪服で、お葬式と変わりませんでした。

 抗がん剤で、私の頭髪は殆ど抜けていて、当日はウィッグを使用していました。これは数年前に円形脱毛症になって、そのときは結局8割が抜けました。それで、ウィッグを買って、使用していました。その時に買ったウィッグです。円形脱毛症が治った時は、このウィッグはもう使う機会はないなと思っていたのに、捨てなくてよかったです。あくまで一時のことと思っていたので、ウィッグにしてはやすく、簡単な仕様です。ですので、ちょっとしたことでズレたりします。

 家を出たときから、頭の事が気になって仕方がありませんでした。お別れに来てくれた方たちに親族としてお辞儀をするときもあまり深くできませんでした。お別れにきてくれた方たちは娘さんは憔悴しているねと思ったかもしれません。

 それが終ると、母の遺体は広間へ移され、そこで、親族だけで、夕食をしました。親族は、夕食後帰宅し、そこに残されたのは母の遺体と私だけです。私は、その部屋でその夜、母の遺体と同じ部屋で寝ました。

 

 

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