TS-1 5クール目 第12日目 特になし
乳がん2022㊳
用があって、久しぶりに運転免許証を出しました。2022年の4月終わりごろに更新しました。そこで、見た写真は見事にウィッグを被っているのが丸わかりの写真でした。コロナ禍で誰もがマスクをしていた時期、私ももちろんして更新場へ行きました。写真を撮る場所に入るところに柱に小さな鏡が付いていて、ウィッグに見えないように手で整えて、写真撮影場に入ると、係員が「マスクを外してください。」と言われたので、外しました。その時メガネのつるにマスクのひもが引っかかり焦ってしまって、そのほかの事は考えられませんでした。落ち着いて少し整えたらよかったと今では思います。渡された免許証を見たとき、みごとに髪の毛が不自然でウィッグを被っているのが丸わかりです。マスクとメガネでウィッグが動いたようです。他人に見せるのが嫌になりましたが、後から見て、この頃のことを思い出して頑張った自分を懐かしく思うこともあるかもしれないと考えました。
4クール目は5月28日に点滴で始まりました。終わった後、病院を出て、印鑑をもってあるところへ行きました。がんがわかる前までパートで勤めていたコンビニです。がんがわかった後、療養による休みを取っていました。この頃は本当に自分に何が起こるのか分からなくてとりあえず何が起こってもお店に迷惑がかからないようにシフトをいれないようにしました。辞めようかなとも店長に申し出ましたが、話し合いで、療養休暇としました。そのコンビニはあるビルの中に入っている小さなお店で、お客さんは殆どがそのビルで働いている方たちで、よく問題になる客との面倒なことは殆どありませんでしたが、問題はワンオペだということです。本店が別の所に在ってそちらは普通のコンビニのサイズで複数人の店員がいますが、そこは、一人しかいないので、具合が悪くなると、お店を閉めるか、我慢して、誰か来るまで、何とか頑張るしかないのです。抗がん剤をいれて、何日目にこうなるというのがわかっていれば事前にシフトを外してもらえますが、抗がん剤をいれてみなければ、どんな副作用が出るのかわからない。ただ、一人しかいないので、お店の事は発注はもちろん、コーヒーメーカーの掃除から、レジに関すること等全てやらなければいけないので、新しい人がきてもそれらを覚えるのが大変で中々働く人が定着しません。店長は、せっかく覚えた私にやめてほしくなかったみたいでした。
しかし、抗がん剤やら、母の死やらで、ひと月に一回店長からのご機嫌伺の電話を受けながら、無理かなと思いました。私がいない分はそのほかの人が頑張っていてくれていたようですが、私がいるために新しく人を雇えないのではと思いやめる決心をしました。いつか私が帰って来るかもしれなければ新しい人をいれることは出来ないということもあるかもしれないと思ったのです。
4クール目の最初の日に本店に行って、退職届(の様な物、やめる理由とか書く)に、署名して、印鑑を押しました。 こうして3年ちょっとのパートも辞めてしまって完全に無職になりました。
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