TS-1 6クール目 第10日目 涙、手足の乾燥は変わらず
乳がん2022 56
それから、私は、午前と午後に、病室から対極にある自動販売機まで水を買いに行くようにしました。この自動販売機は、面会者が来たとき、患者とお話ができるように設置していた部屋にありますが、当時はコロナ禍のため面会は出来なくて、この部屋も半分倉庫化していました。通常は自販機で飲み物を買って、面会者と患者さんがお話なんかしていたと思いますが、照明も消されて、奥の方に自販機の明りが灯っていました。
2,3日一日2回ほど自販機まで杖を使って行っていましたが、飽きて、病室の階を探索することにしました。並んでいる部屋を一つ一つ見ていくようになりました。また、中央にある受付のあたりには壁に毎日のメニューが張ってあり面白く読んだりしました。自分の病室へあと5,6メートルになったあたりで、二人の看護師さんが寄ってきて、大丈夫?、部屋はわかる?、お名前は?等々子供に言うように生ぬるい言葉をかけるんです。自分の病室がわからなくなった認知症患者に思われたのはすぐわかりました。心外です。歩けと言われたから歩いていたのに。その頃は杖を使っても、歩くときはよろよろと、やっとの思いで頑張って歩いていたのに。
しかも、退院支援計画書には、退院後に利用が予測される社会福祉サービス等の所の「介護保険」にしっかりと印がついていました。もう、認知症患者扱いかあまりに下半身が頼りないことによるのかわかりません。これは退院の日に他の書類とわたされ、聞く暇もありませんでした。介護保険の説明もなかったし、私は退院後、別に誰のどんな支援もなく生活をして今に至っています。
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