10月13日 金曜日 晴れ

TS-1 5クール目 第4日目 涙以外とくになし

乳がん㉚ 母の死⑤

 母の遺体に線香をあげて、私は、みんなが帰った広い部屋で一人ぼーっと座っていましたが、あまりに、静かだったので,TVをつけて視ていました。ただ、画面だけを見ていて内容は覚えていません。広い部屋に母の遺体は静かに鎮座しています。

 生前の母にあったのは、コロナ禍の前でした。その時も、具合が悪くなって入院しているのとかなり危なかったのでしょうか、姉からもしもの時にどうするか医者から聞かれている。と言われました。それを決められるのは娘の姉と私だけです。私たちは相談して、延命処置は極力しないことにしました。

 親戚で、チューブをつけられて、意識もないまま何年も生存した人がいると聞いたからです。意識がないのに心臓だけが動いている状態とは本人にとって幸せなのでしょうか。若い方が不慮の事故でそうなった場合は回復の希望もあるでしょうが、90歳を過ぎて、事故や病気ではなく、体全体の機能が落ち、臓器が正常に動かなくなり、生きるための最小限の事さえ、自力で出来なくなった時、意識がないと見えるけれど、頭の中では何か考えているのでしょうか。誰にも分らない問いのなかで、もう、自由にしてあげた方が良いのではと思ったのです。

 年を取ってからは体のあちこちが痛み、自由にならないもどかしさ、口惜しさもあったのではないでしょうか。誰にも分かりません。しかし、死にゆく人に引導を渡せるのは今生きている人です。引きづらないで、ちゃんと始末をつけるのは次の世代のためになります。私は、母と離れて暮らしていたので、ある程度落ち着いて考える事ができたけれど、一緒に暮らして、老人ホームや、病院の手続き等をしていた姉は、動揺していました。それで、一度、故郷に帰って、母の見舞いに行きました。母は案外元気で、顔もふっくらとして、よく、話しました。まだまだ、大丈夫だと思いました。その後、姉から退院したと聞き、安堵しました。それから、コロナ禍が始まり自由に行き来できなくなりました。

 故郷の家族も、母にはあまり会えなかったようです。施設でお断りされたそうです。亡くなった時は病院でしたが、その時も、病室に入れるのは一人で姉が行った時にはもう、息をしていなかったということです。TVや映画のように死にゆく人の最後に合うという感動的な場面はありませんでした。母は一人で眼を伏せたとき、何を思っていたのでしょう。子供の事を考えたのでしょうか。自身の子供の頃を思い出していたのでしょうか。親兄弟の羽の中で過ごしている間は人生の中でも幸せな時間でしょう。特に、母は、6人兄弟の一番下で、みんなに可愛がられたのではないでしょうか。何度か、小さい頃の実家でのことを聞きましたが、幸せそうでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました