10月20日 金曜日 晴れ

TS-1 5クール目 第11日目 特筆することはないけれど最近手の平の皺がすごい。TS-1と関係あるのか分からない。

乳がん2022㊲

 AC療法の4クール目は5月28日に始まりました。本来5月21日に始まるのですが、母の49日の法要が5月27日にあるので、一週間スキップしてもらいました。あまり自覚症状はありませんでしたが、体はダメージを少なからず受けていると思ったので、人ごみに入って、感染症にかかるのを心配したのです。21日に抗がん剤をいれると、28日は7日目となり白血球もだんだん少なくなりそうな感じがしたので、体を回復したかったのです。抗がん剤の1クールが終って7日目なら体もかなり回復しているのではと思いました。

 AC療法の時、抗がん剤をいれると最初の1週間はあまり感じませんが、2週目に近づくと、体力の低下や、軽い倦怠感、少しの気持ち悪さを感じ始めました。2週目はそれが続き、3週目となると体がぐんぐん回復していったのを実感しました。しかし、本やインターネットで読んだような壮絶な体験はありませんでした。大体、今までと同じ普通に生活していました。

 5月27日、4月の始めと同じように飛行機に乗って、故郷へ帰り、母の49日の法要に出ました。用意は地元にいる姉が全てしてくれていたので、私は、ただ、行って母の遺骨をお墓へ納めて精進料理を食べただけでした。亡くなって、49日の間は魂がまだこの世にいると聞いたことがあります。そして49日が過ぎるとあの世へ旅立つのです。母は、無事に旅立って父と会えたでしょうか。49日の間、私の様な娘を見ていて、嘆いたのではないでしょうか。

 考えてみれば、母は、勉強関係には惜しまずお金を出してくれました。しかし、頭の悪い私はそんな母の思いには応えられませんでした。歯がゆく思ったこともあったでしょう。母の若い頃は、戦争の前後で、女性が生きていくことはあまり選択肢がない時代だったので、子供に夢をかけていたこともあったのではないかと今は思います。そんな親の思いをなんとも思わずぼーっとしている娘に忸怩たる思いもあったのではと最近考えています。

 そんな母の思いも全て空に帰って行きました。父と父の両親のお骨の中に母のお骨も並びました。90年を超す人生の旅を終えて、静かに旅立ちました。

 

 

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